「AIによる聴覚訓練支援」と「人による専門調整」——大学発の研究から見えてくること
補聴器の「タンス補聴器」問題は、業界共通の課題
2026年8月、群馬大学の研究チームが、AIとXR(クロスリアリティ)技術を使った聴覚訓練システムの開発に着手するという発表がありました。国の研究支援制度に採択された、大学発のスタートアップにつながる取り組みです。
この発表の中で示されていたデータが、私たちが日々の現場で感じていることと重なっていたので、今回は少し紹介したいと思います。
- 国内の補聴器普及率は、いまだ約15%にとどまっている
- 補聴器を購入しても、約5割が装用を断念する「補聴器離脱」が課題となっている
- その主な原因は、購入直後の脳が新しい音に順応できず、騒がしい職場や会食の場で会話が聞き取れないこと
つまり「買って終わり」ではなく、「買ってからが本当のスタート」だということです。これは特定の研究機関だけの見解ではなく、補聴器の専門店として現場に立つ私たちも、日々実感していることです。
なぜ「順応」でつまずくのか
補聴器は眼鏡と違い、装着した瞬間にすべてがクリアに聞こえるようになる道具ではありません。脳が新しい音の情報に慣れていくまでには、一定の時間と、正しい調整のプロセスが必要です。
この「脳の順応」という視点は、当店が補聴器調整で一貫して大切にしてきた考え方でもあります。単に音を大きくするのではなく、NAL-NL2などの根拠に基づいた調整と、実耳測定による検証、そしてご本人の使用感に合わせた微調整を段階的に重ねることで、無理なく脳が順応できる状態をつくっています。
AIによる訓練支援と、人による専門調整——役割の違い
今回の研究は、AIが訓練の難易度を自動調整し、仮想空間の中で「聞き取れた」という成功体験を積み重ねる仕組みを目指すもので、非常に興味深い取り組みです。特に、専門家が都市部に偏在し、地方では十分な訓練を受けられないという課題に対して、テクノロジーで解決しようとする方向性には意義があると感じます。
一方で、忘れてはいけないのは、聴覚訓練の「土台」となる補聴器そのものの調整精度です。AIによる訓練支援が進歩しても、補聴器そのものの調整が不要になるわけではありません。どれだけ優れた訓練を積んでも、そもそもの音の出力や特性が個人の聴力像に合っていなければ、十分な順応を妨げる可能性があります。
- 訓練(ソフト面):脳を音に慣れさせていくプロセス
- フィッティング(ハード面):その人の聴力に合わせて補聴器の出力そのものを最適化するプロセス
この両輪を整えていくことが、「買ったけれど使わなくなった」という状態を減らし、その人らしい社会参加につながる聴こえを支えるのではないでしょうか。当店では、測定結果だけでなく、実際の生活での聞こえ方を確認しながら調整を重ねることを大切にし、必要に応じて実耳測定による客観的な検証も行っています。
まとめ——AIか、人か、ではない
今回の研究は、AIやXRを活用することで、これまで専門家の支援が届きにくかった場所でも、聴覚訓練を受けられる可能性を広げるものです。
私自身、この方向性には大きな可能性があると感じています。
一方、現場で補聴器の調整を続けてきた立場から見ると、その前提として忘れてはいけないものがあります。
それが、**「補聴器から、その人に必要な音が正しく出ているか」**ということです。
補聴器の出力を聴力に合わせるフィッティング。 その音を脳が使いこなしていくための訓練。
AIか、人による専門調整か。
私は二者択一ではなく、正確なフィッティングという土台があり、その先にAIを活用した聴覚訓練がある。そんな形で両者が補い合っていく時代に入っていくのだと思います。
出典:群馬大学プレスリリース「国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)のSBIRフェーズ1支援に採択」(2026年8月10日)




