5dBのズレが教えてくれたこと― 補聴器専門店が毎年校正する理由
私はこう考えています
補聴器は数十万円、高いものでは100万円を超えることもあります。
その調整を行う以上、測定機器の精度まで含めて責任を持つことが、専門店の役割だと考えています。
法律で決まっているから。
メーカーが勧めているから。
だから毎年校正しているのではありません。
必要だと考えているから、毎年続けています。

この考え方の原点
私は補聴器メーカー勤務時代、工場研修で補聴器特性測定装置の重要性を徹底的に学びました。
修理を終えた補聴器。
工場で完成した製品。
どちらも最終的には、補聴器特性測定装置で性能を確認します。
「感覚ではなく、正確に測定する。」
品質管理では、それが当たり前の基準でした。
当時は工場での品質管理の話でしたが、この経験は現在の仕事にも深くつながっています。
補聴器の性能を確認する機器だけが正確でも意味はありません。
お客様の聴力を測るオージオメータ。
補聴器の出力を確認する補聴器特性測定装置。
そして、耳の中へ届く音を確認する実耳測定装置。
どれか一つではなく、すべての測定機器が正確であって初めて、安心して測定結果を説明できる。そう考えています。

なぜ校正が必要なのでしょうか
補聴器は、聴力測定の結果をもとに音を調整します。
つまり、最初の測定が正しくなければ、その後の補聴器調整にも影響する可能性があります。
例えば体重計が5kgずれていたら、正しい体重は分かりません。
血圧計が誤った数値を示していたら、診断の参考になりません。
補聴器の測定機器も同じです。
測定値が正確であることではじめて、その数値をもとに補聴器を調整し、お客様へ説明することができます。
だからこそ、測定機器そのものの精度を定期的に確認する「校正」が必要になります。
数字よりも考え方
日本補聴器販売店協会・日本補聴器技能者協会の「補聴器適正販売ガイドライン」には、オージオメータについて「少なくとも3年に1回」の校正基準が明記されています。
しかし、その数字を基準にしているわけではありません。
測定した数値をもとに補聴器を調整し、お客様へ説明する以上、その数値自体が信頼できる状態であることも同じくらい重要だからです。
だから当店では、毎年校正を続けています。

当店の運用
当店では、実際の業務に使用する以下の測定機器を、毎年メーカーへ送り校正しています。
- オージオメータ(聴力測定)
- 補聴器特性測定装置
- 実耳測定装置
- 実耳測定用マイクおよび周辺機器
測定装置本体だけではなく、測定に関わるマイクや付属機器も含めて精度を確認しています。
校正記録は保管し、機器に異常が疑われる場合は、定期校正の時期を待たず随時確認しています。
また、測定結果だけで判断するのではなく、お客様ご自身の「聞こえ方」と合わせて総合的に判断しています。
加えて、音場校正については、年1回の外部校正とは別に、当店では毎月自店で行っています。最近では自動で校正できる機器も出てきていますが、その前提となるのは、あくまで機器そのものの校正が整っていることです。
補聴器特性測定装置については、実際の校正証明書を掲載します。単年度だけでなく、複数年分を並べることで、一時的な取り組みではなく継続的に実施してきたことをお伝えします。




現場で気づいたこと

測定機器は精密機器です。長年使用すれば、わずかなずれが生じる可能性があります。
以前、高度難聴で、超小型耳穴型(CIC)の補聴器を使われているお客様を担当したことがあります。リモコンで微調整はできるものの、根幹となる設定がなかなか定まらず、2週間に1回のペースでご来店いただいている状態が続いていました。
正直に言うと、当時の私は「オージオメータの校正基準と同じように、3年に1回で十分だろう」と考えていました。
ところが、このお客様の調整を重ねる中で、あることに気づきました。データ上は正しい数値が出ているはずなのに、お客様の反応が芳しくない。音が響く、特に騒音下での聞き取りが今ひとつ改善しない。
そこで、実耳測定装置を含む測定機器一式を校正に出しました。すると、実耳測定装置そのものが、同じ出力特性のまま測定しているはずなのに、中高音部の大きい周波数では、校正前後で約5dBの差が出ていました。
そのデータをもとに改めて調整をやり直したところ、不快感がなくなり、聞き取りやすくなったと、お客様から大きな変化を実感していただけました。それ以降、来店の頻度は2週間に1回の微調整から、定期的なアフター点検だけに落ち着いています。
もし校正のタイミングがもっと後になっていたら、このお客様には何度も来店いただくことになり、時間的にも、聞こえの面でも、不利益を被らせてしまっていたかもしれません。今振り返ると、ぞっとします。
たった5dBと思われるかもしれません。しかし補聴器の調整は、通常2〜3dB刻みで微調整を重ねることもある世界です。それだけ、わずかな数値の違いが聞こえ方を左右します。
特に、高度難聴でダイナミックレンジの狭いお客様にとって、その5dBが「聞き取れるか、響いて不快になるか」の境目になり得ることを、このとき実感しました。
実耳測定を行っていること自体は、今では珍しいことではなくなってきました。しかし、その実耳測定装置そのものが正確でなければ、どれだけ緻密に測定しても、表示された数値を信用することはできません。プローブマイクの校正が大切であることは言うまでもありませんが、それ以前に、実耳測定装置というシステムの根幹を担う機器そのものが正確であることが大前提です。土台となる機器がずれていては、いくら測定を重ねても意味がありません。
校正は、本来第三者機関に依頼すべきものであり、そこに費用がかかるのは当然のことだと考えています。
補聴器専門店は、開業時には設備投資をして立派に見えるものです。しかし、大きな投資を終えたあとは、目に見える形での投資は減少していく傾向があります。それでも、機器の劣化は必然的に起こります。周囲にノイズを発する機器がある環境では、その影響を受けることもあります。
自店だけの努力では、限界があります。だからこそ、目に見えない場所にこそ投資し、正確性を担保する。それは、補聴器専門店を名乗る以上、当たり前のことだと考えています。

実耳測定(REM)は、補聴器から出ている音が実際に耳の中へどれくらい届いているかを確認する重要な測定です。
しかし、「実耳測定を行っている=最適な調整」とは限りません。測定機器の精度や校正、そして測定結果をどう解釈するかによって、補聴器の調整結果は大きく変わることがあります。
実耳測定の役割や限界、当店の考え方について詳しく解説しています。
そこで気になって、海外を調べてみた
この経験があってから、ふと気になりました。
海外の補聴器専門店や、audiologist(聴覚専門職)は、測定機器の校正をどう考えているのか。
私はIHS(International Hearing Society)の会員でもあり、日頃から海外の音響学会や技能者団体の情報に触れる機会があります。そこで、実際に調べてみることにしました。
海外でも、同じ考え方だった
調べてみると、アメリカでもイギリスでも、日本よりも踏み込んだ形で精度管理の考え方が制度化されていました。
アメリカでは、労働安全衛生を管轄するOSHAの規定とANSI/ASA S3.6規格に基づき、毎日の機能チェック・少なくとも年1回の音響校正・必要に応じた詳細校正という三段階で管理されています。年1回の校正だけでなく、日常点検までが制度に組み込まれているのが特徴です。
イギリスでも、British Society of Audiologyの指針でオージオメータは年1回の校正が基本とされ、実耳測定装置やプローブマイクについても年1回程度の定期校正が示されています。
日本のガイドラインでは、オージオメータについて「少なくとも3年に1回」という基準はあるものの、補聴器特性測定装置や実耳測定装置については、校正周期そのものが数値として明記されていません。
「日本が駄目で、海外が優れている」という話ではありません。ただ、これまで感覚的に「必要だ」と思って続けてきたことが、海外では制度としてすでに考えられていた。そのことが、ある種の裏付けになりました。
補聴器店を選ぶ際に確認してみてください
補聴器店を選ぶ際には、
「実耳測定をしていますか?」
だけではなく、
・測定機器はいつ校正しましたか?
・校正記録はありますか?
・実耳測定用マイクはどのように管理していますか?
という点も、一つの判断材料になると思います。
そして、もう一つ大切な視点があります。
それは、その質問に対してその場で具体的に答えられるかどうかです。
校正記録を保管し、いつでも説明できる店なのか。それとも、曖昧な返答になってしまうのか。その違いにこそ、その店が測定という仕事にどう向き合っているかが表れると思います。
補聴器店を選ぶ際は、ぜひ一度、
「測定機器はいつ校正しましたか?」
と聞いてみてください。そして、その答え方にも注目してみてください。

おわりに
測定すること自体が重要なのではなく、信頼できる状態で測定することが重要だと考えています。
測定結果をお客様へ説明するのであれば、その数値が信頼できるという根拠も、同じように大切です。
だから当店では、毎年測定機器の校正を行い、その記録を残しています。
校正は、お客様から見える仕事ではありません。しかし、見えない部分にどこまで手間をかけるかが、専門店としての品質や姿勢につながると考えています。
この記事は、当店の取り組みを誇示するために書いたものではありません。
測定機器の精度管理について考えるきっかけとなり、補聴器業界全体の品質向上につながれば幸いです。
参考文献・出典
- 一般社団法人日本補聴器販売店協会・特定非営利活動法人日本補聴器技能者協会「補聴器適正販売ガイドライン」 https://www.jhida.org/pdf/kensyo/haguideline.pdf
- OSHA(アメリカ労働安全衛生局)29 CFR 1910.95 Appendix E「Acoustic calibration of audiometers」 https://www.osha.gov/laws-regs/regulations/standardnumber/1910/1910.95AppE
- ANSI Blog「What’s New in the 2025 ASA/ANSI S3.6 Audiometer Standard?」 https://blog.ansi.org/ansi/asa-ansi-s3-6-2025-audiometers/
- British Society of Audiology「Recommended Procedure: Surveillance Audiometry」(年1回校正・日常点検について) https://www.thebsa.org.uk/wp-content/uploads/2023/10/OD104-65-Surveillance-Audiometry.pdf
- ASHA Evidence Maps「Guidance on the Verification of Hearing Devices Using Probe Microphone Measurements」(British Society of Audiology指針の要約、プローブマイクの年1回校正について) https://apps.asha.org/EvidenceMaps/Articles/ArticleSummary/9a7acb2a-5874-4415-bae5-069a9d7f733f
- 「Chapter 4: Introduction and Getting Ready for Real-Ear Probe Microphone Measures」(実耳測定装置・プローブマイクシステムの6ヶ月ごとの校正について) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11161218/




