補聴器を高くするだけでは解決しにくい「距離・方向・死角」の話
「習い事で、先生の声が聞き取りづらい」
今回ご相談いただいたのは、70代の女性です。
当店でお作りした補聴器は、Unitron(ユニトロン)の充電式オーダーメイド耳あな型、Insera S9-R(インセラ S9-R)。両耳で使用されています。
普段の生活では、静かな場所での聞き取りや雑音への対応など、以前の補聴器と比較して喜んでいただけていました。
ところが、新しく始められた習い事で問題が出てきました。
5〜6人程度の少人数の教室で、先生が前に立って話しているときは比較的よく聞こえます。しかし先生が教室内を歩きながらアドバイスすると、聞き取りづらくなる。
特に、左側から話される、下を向きながら話される、移動しながら話される、といった場面です。
そこで今回、補聴器をさらに調整するのではなく、Roger On 3(ロジャー オン 3)というワイヤレスマイクを組み合わせる方法をご提案しました。
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1補聴器をさらに調整するのではなく、Rogerを試した理由
実は、この方の補聴器選びには少し複雑な背景があります。
以前は他メーカーの外部マイク式オーダーメイド補聴器を使用されていました。
外部マイク式はマイクの位置によって、耳介が持つ自然な集音効果や方向による音響的な変化を利用しやすいという特徴があります。
一方、この方は耳道の曲がりが強く、聴力も中高度から高度に近い。以前、他メーカーのCICも検討しましたが、必要なレシーバーサイズと耳道形状との関係から十分に奥へ収めることが難しく、マイク部分が外側へ出てしまいました。
見た目も大切にしたい。でも、聞こえも妥協したくない。
そこで選択したのが、充電式でワイヤレス機能を搭載したUnitron Insera S-Rです。それまで最高クラスの補聴器を使用されていた経緯もあり、今回はS9クラスを選択しました。
ただし、すべての場面で以前の補聴器を上回ったわけではありません。
大切な場面では、以前の補聴器へ戻して使われることもありました。
最新の最高クラスに変えれば、すべてが以前より良くなるとは限りません。
補聴器はカタログ上の性能だけでなく、マイクの位置、耳介や耳道の形、そして実際の耳の中でどのような音が得られているかまで関係します。
さらに、もう一つ課題になったのが左耳の調整でした。
この方は以前から、左耳について「音が響く」という訴えがありました。
語音明瞭度は7割弱ありますが、必要な利得をそのまま入れると響きが強くなるため、右耳とのバランスや快適性を確認しながら、左側は意図的に利得を少し弱めに設定していました。
つまり、「左耳が聞こえないから左からの声が分からない」という単純な話ではありません。
普段は問題なくても、習い事では左側の利得を抑えているところへ、先生との距離、話す方向、移動、部屋の反射音など複数の条件が重なります。
だからといって左耳の利得を上げれば、先生の声だけでなく、本人が気にされている「響き」まで強くなる可能性があります。
補聴器側をさらに触るのではなく、先生の声をもっと良い状態で補聴器へ届けられないか。
そこで候補になったのが、以前にも別のケースで効果を確認していたRogerでした。
Unitronの耳あな型でもRogerは使えるのか?
RogerはPhonak(フォナック)が展開しているワイヤレスマイクです。
そのため、「フォナックの補聴器でなければ使えない」と思われている方も多いかもしれません。
しかし、対応するUnitron製品でもRogerDirectを利用できます。
日本国内では、Unitronのオーダーメイド耳あな型とRogerの組み合わせについて詳しい情報が多いとはいえません。
そこで海外のメーカー資料なども確認したうえで、当店にあるRoger On 3をInsera S9-Rへ実際に接続して動作を確認しました。
接続は非常にスムーズでした。
外付けのブーツ型受信機を取り付けたり、Tコイルを経由したりする必要はありません。
オーダーメイド耳あな型のまま、Roger On 3の音声を直接受信できます。
以前は、Rogerの音声を受けるために外付けの受信機が必要でした。そうお伝えすると、お客様自身も、
「これに代わるものが入っているんですね。すごい進歩」
と驚かれていました。
ただし、接続できたからといって、そのまま購入をおすすめしたわけではありません。
Roger On 3は当店価格で約205,000円。決して安い機器ではありません。
まず貸し出して、実際の習い事で試していただきました。
そこでいただいた感想が印象に残っています。
「ここで聞かないと。聞けなかったらどうしよう、という緊張感が減った」
70代女性/実際の習い事で試されたあとの感想
聞き取りそのものだけではありません。
せっかく習い事へ行っているのに、先生の言葉を聞き逃さないよう常に神経を集中させなければならない。その負担が減ったということです。
これは聴力測定や語音明瞭度の数字には表れませんが、補聴器や外部マイクを使う目的として大切な変化だと考えています。
今回のように、最初からRogerありきで考える必要はありません。
まず補聴器を使う。それで十分なら、それでいい。
生活が変わり、新しい困りごとが出てきたときに、後から外部マイクを追加する。対応する補聴器を選んでおけば、こうした「聞こえの拡張」ができます。
2なぜリモートマイクで聞き取りが変わるのか
補聴器のマイクは耳元にあります。
話者との距離が離れると、聞きたい声は耳元へ届くまでに小さくなります。一方で、部屋の雑音や反射音の影響は残ります。
そこで悪化するのが、聞きたい声と雑音との比率であるS/N比(信号対雑音比)です。
では、距離が離れると実際にどのくらい不利になるのでしょうか。
これを調べた海外の研究があります。補聴器ユーザーの成人23名と小児14名を対象に、話者との距離を1.5m、3m、6mと変えて、騒音下での言葉の聞き取りを比べたものです(Chenら、2021年。対象は中国語話者)。
成人では、補聴器のマイクだけで聞いた場合、1.5mに比べて3m、6mで成績が有意に悪化しました。
一方、リモートマイクを使った場合には、1.5m・3m・6mという距離による有意な影響は認められませんでした。
つまり、補聴器だけなら離れるほど不利になるのに、リモートマイクを使うと距離の影響をほとんど受けなかった、ということです。
理由はシンプルです。
遠くから耳元へ届いた声を補聴器だけで処理するのではなく、話者の近くで声を拾い、その音声を補聴器へ届けるからです。
Roger On 3は、そのためのワイヤレスマイクです。
4つのマイクを搭載し、使い方や音環境に応じて指向性を自動的に制御します。テーブルに置いて複数人で話す、先生や講師の胸元につける、手に持って聞きたい相手へ向ける、といった使い方ができます。
今回のように先生が教室内を移動する場合、先生に装着してもらえば、先生が前にいても横へ移動しても、マイク自体は先生の近くにあります。
RogerDirect対応補聴器へのストリーミングでは、フル充電で最大約8時間使用できます。
こうした外部機器では、性能と同じくらい操作性も重要です。
性能が良くても、毎回複雑な操作が必要なら次第に使われなくなります。特に高齢の方の場合、電源を入れて日常的に使いやすいことは大きなメリットです。
3オーダーメイド耳あな型+Rogerという選択肢
Rogerはさまざまな補聴器と組み合わせられますが、
オーダーメイド耳あな型+ワイヤレスで直接受信+外付け受信機なし
という条件になると選択肢は限られます。
当店取扱い製品では、対応するPhonakのVirtoシリーズとUnitron Inseraシリーズが候補になります。
ここで、「Rogerなら最初からPhonakを選べばいいのでは?」と思われるかもしれません。
もちろん、それも一つの選択肢です。
Phonakはブランド力が高く、独自のフィッティング処方式であるAdaptive Phonak Digital(APD)や、Rogerを含めたシステム全体にも強みがあります。その分、価格はやや高めになります。
一方、当店ではREM(実耳測定)を行い、NAL-NL2などの処方式を基準にしながら、実際の耳の中でどの程度の音が届いているのかを確認して調整しています。
UnitronではNAL-NL2を利用したフィッティングができるため、当店のフィッティングに対する考え方とも合わせやすい。
さらに、対応するオーダーメイド耳あな型でRogerDirectも利用できます。
Phonakだから良い、Unitronだから安い、という単純な比較ではありません。
ブランドや独自技術を重視するのか。フィッティング方法や価格、外部マイクまで含めたシステム全体を重視するのか。
何を優先するかによって選択肢は変わります。
4補聴器をワンランク上げるか、Rogerに予算を回すか
ここからは、当店での補聴器選びに対する考え方です。
今回のお客様は、それまで最高クラスの補聴器を使用されていた経緯もあり、Insera S9-Rを選択しました。
しかし、すべての方に9クラス+Rogerが必要だとは考えていません。
当店価格でInsera S-Rを両耳購入した場合、
Roger On 3は約205,000円です。つまり、
となり、9クラス単体より155,000円低くなります。
もちろん、「7クラス+Rogerの方が9クラスより優れている」という意味ではありません。
役割が違います。
上位クラスの補聴器は、耳元まで届いた音を環境認識、指向性、雑音処理などによって処理します。
一方、Rogerは話者の近くで声を拾います。
補聴器は「耳元に届いた音」を処理する。
Rogerは「耳元に届く前」の条件を変える。
ブランドや最先端の機能を重視するのであれば、Phonakを含めた上位モデルを選ぶ意味があります。
一方、「普段はある程度聞けている。でも習い事で先生の声が聞きたい」「会議で離れた人の声が聞き取りにくい」と目的が明確なら、補聴器をワンランク上げる予算をRogerへ振り分ける方法もあります。
さらに予算に限りがある場合には、対応する下位クラスを両耳で使用し、Rogerを組み合わせる方法も考えられます。
一番高い補聴器を選ぶことではなく、「何を解決するために予算を使うのか」。
これも補聴器選びの一つの考え方です。
5ただし「片耳しか有効に使えない方」は考え方が違う
ここには重要な例外があります。
以前、当店に医師の方からご相談がありました。
他店で両耳のオーダーメイド補聴器を購入されていましたが、語音明瞭度は良い方の耳が約70%、反対側は30%弱。
実際にお聞きすると、明瞭度の低い側の補聴器はほとんど外していました。
仕事では診察をします。
診察室自体は比較的静かでも、看護師が金属製の器具を扱う音が響く。人が動くため、声が来る方向も一定ではありません。
さらに学会、打ち合わせ、懇親会、講演。演者として質問を受ける場面もありました。
このケースでは、まず良聴耳側の補聴器単独で、音質が合うか、騒音下でやかましくなりすぎないか、日常的に装用できるかを確認しました。
そのうえでリモートマイクを組み合わせています。
診察ではテーブル上へ置く。講演会では主催者に事情を説明して適切な位置へ。懇親会では、聞こえにくい側を補える場所へマイクを置く。
すべての会話が聞こえるようになったわけではありません。
それでも、横や周辺からの会話については、雑音の影響を減らしながら聞き取りを助けることができました。
聞こえる耳の反対側にできる「死角」
実質的に片耳しか有効に使えない方では、聞こえる耳の反対側が音響的な「死角」になりやすいという問題があります。
人間の頭は、音に対して透明ではありません。
低い周波数の音は波長が長いため、頭の周囲を比較的回り込みます。
一方、高い周波数では頭による遮蔽の影響が大きくなり、音源と反対側の耳へ届く音が小さくなります。
これが頭部陰影効果(head shadow effect)です。
例えば右耳しか有効に使えない方に、左側から話しかけたとします。
低い音はある程度頭の周囲を回り込んでも、言葉を聞き分けるうえで重要な高い周波数の情報は頭部陰影の影響を受けます。
両耳を有効に使える方であれば、左右に届く音の時間差やレベル差、左右で異なるS/N比なども聞き取りに利用できます。
実質的な片耳装用では、このメリットを十分に利用できません。
さらに最終的には、聞きたい声も周囲の雑音も一つの耳で処理することになります。
そのため、こうしたケースでは、
「Rogerを使うから、補聴器本体のランクを下げても大丈夫」
とは単純には考えません。
片耳しか有効に使えない方ほど、補聴器側でも雑音を整理し、必要な音声信号を残すための性能を確保しておきたい。
そのため当店では、両耳を有効に使える方と、実質片耳で聞いている方では、補聴器本体と外部マイクへの予算配分を同じには考えていません。
6Rogerにもデメリットはある
Roger On 3は万能ではありません。
前述のとおり、決して安い機器ではありません。
今回のように先生の声を拾うなら、「このマイクをつけてもらえますか」とお願いする必要があります。つまり、相手の理解と協力が必要です。
Roger On 3自体の充電も必要です。
また、一台のマイクですべての人の声を同時に解決できるわけではありません。誰の声を聞きたいのか、どこへ置くのか、どう使うのかまで考える必要があります。
使用する補聴器によって、RogerDirectで直接受信できるもの、別の受信方法が必要になるものもあります。
だからRogerは、
「買えば聞こえる機器」ではなく、「どこで、誰の声を聞きたいのか」から逆算して使う機器
と考えた方が分かりやすいでしょう。
REMは「耳の中」、Rogerは「耳に届く前」
補聴器の相談では、
「どのメーカーがいいですか?」
「一番高い補聴器なら聞こえますか?」
という話になりがちです。
しかし実際の聞き取りには、聴力だけでなく、距離、方向、左右、雑音、反響、頭部陰影まで関係します。
当店ではREM(実耳測定)を行い、実際の耳の中で補聴器からどのような音が出ているのかを確認します。
それでも、REMで補聴器を適切に合わせれば、話者との距離や位置関係までなくなるわけではありません。
REMは「耳の中」を整える。
Rogerは「耳に届く前」を整える。
補聴器を高性能にするのか。
外部マイクを組み合わせるのか。
あるいは両方必要なのか。
その方の聴力だけでなく、「どこで、誰の声を聞きたいのか」まで含めて、聞こえのシステム全体を考える。
今回のUnitron Insera S9-R+Roger On 3も、その一つの方法です。
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参考文献・資料
- Chen J, Wang Z, Dong R, Fu X, Wang Y, Wang S. Effects of Wireless Remote Microphone on Speech Recognition in Noise for Hearing Aid Users in China. Frontiers in Neuroscience. 2021;15:643205. doi:10.3389/fnins.2021.643205.
- Dubno JR, Ahlstrom JB, Horwitz AR. Spectral contributions to the benefit from spatial separation of speech and noise. Journal of Speech, Language, and Hearing Research. 2002;45(6):1297-1310.
- Snapp HA, Ausili SA. Hearing with One Ear: Consequences and Treatments for Profound Unilateral Hearing Loss. Journal of Clinical Medicine. 2020;9(4):1010.
- Phonak. Roger On 3 User Guide / Datasheet.
- Unitron. Insera S-R Product Information / Fitting Information.




